コムローイよりも濃ーい滞在になったチェンマーイ

どーーーーーも!

完全に風邪をこじらせて微熱が出てるしゅーです!

実を言うと、謎の発疹が出てきて風邪かどうかも怪しくなって少し怖がってます(笑)

旅を始めて初の体調不良。しかし、動けないほどではないので様子を見ながら動いてはいこうと思います!

さて、今回のブログの舞台はラオスからタイへ移っていきます!

タイ チェンマイではマジで盛りだくさんの内容です。ほんとに書いてて楽しくなりました(笑)

では、いってみよう!

1.メコンの先にあるもの

ラオスからこの旅2回目のタイへ移動だ。

前回のバンコクでは予想だにせず長居してしまったので注意せねば…

そんなわけでラオスからタイへの移動はお馴染みのバスを使っていく。

なんとなく見たことあるような…
この微妙な安心感みたいなものはなんだ・・・
よく見ると…
日本語!日本のバスか!岡崎市って何県だろ
去る直前に日本とラオスのつながりに気づくとは…
日本とラオスはいい関係とは聞いていたが…

この2カ国間を移動する際、何がすごいかって川を渡るだけで国が変わってしまうところだ。

実際に川を渡っている間は、中間地点まではラオスの国旗が橋に掲げられていたのだが途中からタイの国旗へ変わった。

その瞬間「あ、国変わった」となんとも不思議な感覚であった。

そして、国境を越えたあたりでバスをチェンマイ行きのバスに乗り換える。

そのバスがまさかのメルセデス・ベンツ…人生初のメルセデスがタイになるとは思ってもみなかった。

なんか無駄にチャラチャラしてる気がしないでもない
いや、やっぱりぬいぐるみ多くね?

乗り心地はいかがなものか…

今思うと悪くは無いが、特別最高というわけでなかった(笑)

しかし、当時は「ベンツやん!!」とテンションが上がっていたこともあり「最高!!!」と移動間満喫していた気がする。

隣の席にはフランス人の男だった、名前はレノ。

いつも名前は聞くのだが、どうも僕は人の名前を覚えるのが苦手らしい。でも今回は覚えやすかったので、未だに覚えている(笑)

チェンマイに着いたのは早朝7時前だった。

レノがチェンマイに訪れた理由は割とカオスで書くと長くなるのでここでは割愛する。

簡単に言うと、奥さんがタイ人で今チェンマイのゲストハウスに泊まってるらしかった。

そのゲストハウスがsuper nice とのことだったので誘われるがままについていった。

ここは忖度なしで言わせてもらう。

そのゲストハウス全然super niceじゃなかった。

写真撮るのを忘れるぐらい早く離れたかった。

言うまでもなくこれは写真を忘れてた言い訳だ。

しかし、感想は本物だ。

まず、夜は割と冷え込むチェンマイで吹き抜けのシャワーは極寒。

そして、こればかりはどうしようもないのだが同部屋の人が80過ぎて木の杖持って旅してるガチトラベラーおじいちゃんと60過ぎのおしゃべり大好き台湾人奥さん。

ただメンバーが独特だけならよかったが、朝の4時からおじいちゃんは動き出し夜の一時過ぎまでおばあちゃんのトークに付き合わされるのダブルパンチで全然眠れなかった。

この2人が次の日チェックアウトするのであれば、延泊してもよかったが、二人ともあと1ヶ月はいるとのこと。

「長すぎだろ!!!!せめて宿変えろよ!!!」とおこがましくも人生の大先輩方に思った自分を恥じる。

これらの理由からここでの延泊は出来なかった。

2.野生にかえった瞬間

カオスなゲストハウスで寝不足になった僕はその日象乗り体験ツアーに参加した。

最初に言っておくと、旅を始めて1ヶ月の中で1番楽しかった体験であった。

朝の七時半にピックアップでスタッフが宿に迎えに来てくれた。

急いでいたのか
異常に歩くスピードが早かったスタッフのお兄さん

ツアーというぐらいだから、ここでもよき出会いがあるものだと思うのか普通だ。

迎えのバンに乗ると既に何人かの若い欧米人が乗っていた。その後にも数人合流して、計10人ほどになった。

(友達できるかなー?!)とここ数日出会いに溢れた僕は内心ウキウキしていた。

現場に到着した様子、みんながぞろぞろ降りる中僕もみんなに続いて降りようとした時スタッフが僕に告げた。

みんなと喋れるかなと入学したて小一の如く
ウキウキしていた

「Youはcarにstayしててよ!」

「えっ?」

混乱した、俺だけ追加料金とか払わされるのか?

それとも誘拐されてしまうのか?

大袈裟に色々勘繰りつつ、言われた通り待機した。

みんながワイワイ進んでいく背中を車の中から眺めているあの時の疎外感は言葉で形容し難い(笑)

そして、僕だけを乗せた車がたどり着いた場所は先ほどより観光地感の薄れた山の中だった。

どうしても気になってスタッフに尋ねる。

「なんで俺だけ?」

スタッフが驚くべき答えを返してきた。

「このツアーYouしかreserveしてないよ」

そんなことがあるのか、確かに今タイはオフシーズンだ。

それにしてもだ、人気の象乗り体験ツアーに申し込んだ人間が自分一人だなんて有り得るのか。

これを見て、ひとりの可能性なんて考えられるだろうか

見たパンフレットでは、大人数で楽しく象と戯れていたぞ!と思いながら聞いた。

「んじゃ、一緒に来た人達は何処へ?」

「あぁ、another tourだよ」」

「子のツアーを一人でどう楽しめと…」と思った自分が今思い返すと馬鹿みたいだった

1時間後…

「超楽しい!!!!!!笑いが止まらん!!!!!!」

1時間前に色々と心配していた自分が嘘のように楽しんでいた。

複数人でやるはずの象のえさやりを1人で全てこなし、えさやりが終わったかと思えば間髪入れず象に乗せられ、山道をひたすら進んでいく。

餌を細かくナタで刻むのがまた重労働…
みんなで手分けしたら楽なのに…とこの時ばかりは思ったが1人なのでやるしか無かった
その刻んだえさを象はさっさとよこせと言うように
間髪入れず鼻を伸ばしてくる

複数人だと必ず発生する待ち時間が当然1秒もなく、全て自分中心にツアーは進んでいった。

タイで見た象には座椅子のようなものがついていたのでそれを想像しているとまさかの直乗り
普段使わない筋肉使って翌日筋肉痛
しかし、座椅子では感じられない温もりを感じれた

パンフレットでみんなが楽しそうにしていた象との水浴び。僕は象と1vs1でタイマン形式で行った。この時思った、「1人でよかった」と。

こんなに動物と心から触れ合うのは初めてだった
この子がどう感じてたかは分からないが
僕は心を通わせていたつもりでいる
勢いが想像以上に強くて驚いた

そして、象に乗って来た道を帰る。

象の上から見る景色は爽快だった。

知ってましたか?
象って髪の毛あるんですよ(笑)
髪質は硬めです。

生き物の上から見る景色ってこういうものなのだと感じた。象の体温を感じながら見る景色は、歩く度に大きく揺れる象の上から見る景色は、素晴らしいの一言に尽きた。

大袈裟ではなくこの時だけは俗世を離れ、自然に帰った気分だった。人間世界の喧騒から離れ、山の中鳥の鳴き声を聴きながら象に揺られる体験はこの旅においてかけがえのないものになった。

このツアーは昼に終わって、昼過ぎには宿に帰ってきた。帰ってから何をしたか、次の章で話そう。

(今思うと僕一人のためだけに複数人のスタッフが動いてくれるなんて感謝しかない…)

3.とりあえず寺院行こか

アジアではもう定番だ。どこの国に行っても寺院がある。観光地でおすすめはどこ?と聞くと百発百中で寺院がランクインしてくる。

チェンマイではもういいかなと思っていたが、世界で初めて銀で作られた寺があると聞いたのでここだけ行くことにした。そして、チェンマイでは格安でバイクを借りられるのだ。1日借りて400円。

こんなにかと思うほどバイクが似合わない男

CDをレンタルするノリでバイクを借りられるなんて、改めて東南アジアって凄いな…

そして、借りたバイクを使ってその銀の寺院を含めてチェンマイを疾走した。

チェンマイの交通事情を特に調べないまま、走ってると気づいたら逆走していた(笑)

いや、笑い事じゃない。下手したら死んでいた。

目の前からきた車のドライバーがジェスチャーで必死に訴えてくれたことにより気づくことができ、事なきを得た。

こんな感じで初めての海外バイク初日は冷や汗をかく場面もあったが大いに満喫した。

忘れてはならない、バイクを借りた理由は世界初の銀製の寺を訪れるためだ。

実際訪れてみての感想は…

(あぁ…うん…確かに…ぎ、銀だね)

そんなもんだ、観光地において期待を超えてくるものなんて数知れている。

特に長居することも無く、この地をあとにして宿に戻った。

適当にチェンマイの情報を得るために、Twitterで検索してみると何か見たことあるような情報が目に入った。

《銀で彩られた一風変わった寺!》

しかし、写真を見た感じ明らかにこちらの方が先ほど訪れた寺院よりクオリティというか見た目がいい感じ。

行くか行かまいか・・・

場所はチェンマイの少し北に位置するチェンライ。

バイクを乗り回すのが楽しくて仕方なかった僕は、「ドライブがてら行くかー!」と片道3時間半の道のりを原付で走ることをあっさり決意。

出発は明日。

(とりあえず宿変えよ)と適当に近場の宿を探し移動して怒涛の一日を終えた。

4.痛い、痛い、これは痛い

昨日適当に選んだ宿は前回の宿と打って変わって大当たり!

1階にカフェはついてるわ、オーナーは日本人だわ、朝飯めちゃ美味しいわと言うことなしだった。

毎朝変わる朝飯のメニュー
驚くべきはハズレがないこと!
全て美味しい!

片道3時間半ということで、朝に出発がマストだったが結局寝坊して宿を出たのは11時。

そして、バイク屋の姉さんにも言われていたが、思いのほか道が悪い。砂利道なので、スリップしやすく常に気を張っての運転はめちゃくちゃ神経をすり減らした。

(だいぶ進んだやろ)と思い、パーキングエリア的な場所で携帯を開いて位置情報を確認。

「ま、まだ3分の…1…やと…」

「果てしな!!!」

絶望に近い思いだった。

まだ3分の1だし、引き返そうかなと思ったがこの1時間の苦労を無駄にしたくないと、ここまで来たのならチェンライが誇る銀の寺を拝んでから帰ってやろうと意気込んで運転を再開した。

パーキングエリアにて海外で初めての温泉を見つけた
久しぶりに嗅いだ硫黄の匂い
どこか日本を思い出させる匂いだったな

そして、なんとかもう2時間運転し到着…

到着したのは、3時半。

バイクの返却時間は5時。

ここまで来るのに3時間以上かかってんのに、5時に返せるわけないと諦め到着し30分ほどベンチで黄昏てから観光を開始した。

到着後の休憩を終え、
思い腰を上げたが疲れが取れない様子

暗くなる前にはチェンマイへ戻りたかったので、観光したのはせいぜい1時間弱。

それほどでかい寺院でもないので、十分な時間だった。

寺自体はめちゃくちゃ綺麗で荘厳だった。
最近作られたこともあって、
なんとなくデザインが今時だなと感じる場所が多々あった。

往復6時間以上かけ、観光1時間…

“旅において、最も価値ある時間とは《無駄な時間》である。by名無し”

この適当な名言を大義名分に帰りも僕はひたすら原付を走らせた。

事件は(いや、事故と言った方が正しいのか…)は帰路の道中に起きた。

行きの道中で見つけた
仏さんに向かって指さしたから
バチがあたったのかもしれないと今思う

行き同様に道が悪い、しかし行きは道の悪さに動揺し恐れていた僕だが1度 目にしたものに抱く恐怖心など小指ほどだった。

車が渋滞している中、横を軽快に走り抜いて行く僕。

「これがバイクの強みだぜー!」

意気揚々とアクセルである右ハンドルを手前にひねり続けた。

ある時、少し先に右へ寄れと言った内容の看板が目に入った。

隣に位置している車を追い抜いて右に入るか、スピードを落としてこの車の後に右へ入るか。

数秒考え、次の瞬間にはさらに右ハンドルをひねってた僕がいた。

僕が選んだのは《追い抜いてから右へ入る》であった。何も無く追い越せたら良かったのだが、なぜか横の車とスピードが常に同じ…

「追い抜けない!!!!!!やばい!もう看板目の前よ!」と焦って焦って焦って「これは追い抜けん!」と判断しブレーキをかけた。

そして、ご察しの通り、盛大にスリップ。

ドンガラガッシャーン!!!!!!

僕はこの時ブレーキのかけ方を間違えた。

後輪のブレーキである左ハンドルと同様前輪のブレーキも思いっきり握ってしまいスリップ。あとから聞いた話だが、原付で転倒する原因はほとんど前ブレーキにあるらしい。

焦って前ブレーキをかけた人が転ぶ。

追い抜こうとしたことも馬鹿だし、追い抜けないと判断したのも遅すぎた。

それが結果的に急ブレーキへと繋がったというわけだ。

幸いなことに、擦り傷だけで済んだのだが…転んだ地点が悪すぎた。

転んだからといって当然手当のためといってすぐチェンマイへ着くわけでは無い。

チェンライを出発して1時間も経っていない場所で転んだということは残り二時間以上、傷むき出しでドロドロの服のまま帰らなければならない。

何が辛いかって?

わりと深くいってる擦り傷(深くいってるのに擦り傷というのかなんて言わないで)を2時間以上も風に吹かれながら原付を運転するのはもう苦行極まりなかった。

そして、スリップした直後の僕にはしっかりとトラウマとして先程のシーンが頭にすり込まれている。

ガンガンスピード出していた自分が40キロさえ怖くなっていた。この時点で追い抜くなんて思考は当然もうなく、ひたすら安全運転。まぁ、これが当たり前なのだが…

出来れば、原付なんてもう乗りたくなかったが運転しなきゃ帰れない。

痛みに耐えながらなんとか運転すること2時間。

チェンマイに着いたー!!!!!と半泣きになりながらバイク屋へ向かっているとやたら人が多い。

チェンマイではその日祭りみたいなものが行われていたのだ。

そのせいで地図に記されている帰り道が使えない。当然迷った。

本気で泣きたくなった。半径2キロの範囲内に絶対バイク屋はあるのに、たどり着けない。

人混みにこのバイクでいっその事突っ込んでいくとみんな避けて案外通れるもんじゃないのかと血迷った瞬間もあった。

この気持ち分かるだろうか。いや、分かる必要なんてない。

とにかく血を垂れ流しながら、異常にズタボロな衣服に身をまとった日本人が同じ道を原付でウロウロしてるもんだから周りの好奇な目に晒され続けたあの時は本当に穴が入れば入りたい思いだった。

恥ずかしくて恥ずかしくて…一瞬帰国したろかなとまで考えた。

なんとか、やっとの思いでバイク屋に到着。

延滞料金かぁ…と思いつつもササッと払って宿に帰ろう…と思っているとバイク屋のオヤジかすごい心配してくれる。

まぁ、当然だわな。夜の九時にこんな姿でバイク返しに来たら誰でも心配をしてしまうだろう

忘れることなくここは写真を撮るあたり
少しばかりブログが身体に染み付き出したなと感じる

オヤジさんはオーナーである娘さんに電話し始めた。なにやら、バイクの写真を撮って送っている。この時やっと僕は気づいた。

「バイク!壊れてる!…弁償か!!!!!!」

電話を代わり、娘さんと話す。

想像した通りの展開で話が進み、提示された弁償費1000バーツ。日本円で3500円ほど。

旅人にとってだいぶな痛手だが、これに関しては自己責任である。道が悪いと注意されたにも関わらず、バイクでチェンライへ向かい、案の定転んで帰ってくるのだからいい笑いものだ。

素直に1000バーツを払って帰ろうとすると、僕の傷を見たオヤジさんは「病院行け!」と言いだした。

まぁ建前でも1度は言われると思っていたセリフだったので、こちらも用意していたセリフを言った。

擦り傷だから、大したことないよ。ありがとう

オヤジさんは去ろうとした僕を引き止めて、なにやらまた娘さんに電話をかけた。

バイクの次は僕の傷口の写真を送りだしたのだ(笑)なんか、嫌だった…(笑)恥ずかしくもあったし、夜中にこんなの送り付けられる娘さんへの申し訳なさでも一杯だった。

すると、オヤジさんが書類を取りだして僕に言った。

「バイクの保険でお金はおりるから、病院行くぞ!」

完全に(こんなので病院に行って高いお金払いたくない)という僕の思惑を読まれていた。

そこまでしてくれるオヤジさんのご好意を蔑ろにするわけもいかずバイクで連れられ最寄りの病院へ。

まさか人生初の車椅子がタイだなんて思いもしなかった。

運ばれた部屋には他にも人がいた。

おそらく事故ったのだろう、僕の真横で顎を縫っている。(せめてカーテンをひいてくれ…)

他にも明らかに僕より重傷な患者がいるのにも関わらず、初めての車椅子に緊張した僕はなぜか口数が増えていた。

今思えば、あれぞまさに《KY》というものであろう。

色々英語で質問され、検査され、検査結果は当然異常なし。

唯一心配だった破傷風も大丈夫とのこと。

さ、帰ろかと身支度を整え出すと「あ、待ってて。迎えがあるから」とナースさんが言ってくれたことで至れり尽くせりだなーと感じながら待っていると車椅子を持った男の人がやってきた。

僕はてっきりこのままタクシーか何か待ってる場所へ連れていってくれるのかと思っていたが、連れてこられた場所はここ。

1人部屋とは思いのほか豪勢だった(笑)

「にゅ、にゅ、入院ですか?」

もう9割方決まった未来について連れてきてくれた男性に尋ねた。

当然返ってきた返事は「Yes」

驚きだ、まさか擦り傷だけでここまで大事になるとは…

驚きつつも心配していたことはただ一つ。

いやらしいが…ここまで至れり尽くせりだと少し心配になった。

「レントゲンやMRIや色々検査したけど…入院までするけどお金はバイクの保険持ちですよね?」

この点に関しては大丈夫ということだったので、入院には少々、いやだいぶ驚いたがその夜はぐっすり眠れた。どこでも寝れる性質に心底感謝だ。

夜中と朝に1度ずつ看護師が傷を手当てしてくれて朝ごはんもでた。(入院食。味は言うまでもない)

そして、やっとの思いで退院。

軽い気持ちで決めてしまった3時間以上の原付運転。

僕はもう二度と原付の長時間運転はしないだろう。なんなら、バイク自体がトラウマになってしまった。

少し長くなったが、読者の皆さんに伝えたかったのはこれが全てだ

判断は早めに!!原付の前ブレーキは要注意!!

5.事故の傷を癒す出会い

チェンマイでも素敵な出会いがあった。

書いていて思うが最近になってまじで出会いに溢れてきたな、俺の旅…(笑)

初日のゲストハウスから移った場所は日本人オーナーだった。そのオーナーがとても親切な方だった。

とても面倒見の良いオーナーで、会話のきっかけは事故後だったこともあり、もちろん僕の傷についてだった。

そして、僕が日本人と分かるや否やご飯に行こうと誘ってくれて以降毎晩ご飯へ連れていってくれた。だんだん申し訳なさもでてきたが、本当に有難かった。

連れてきてもらった店で書く機会があった絵馬
改めて意識したこと
旅において意識することはほんとこれに尽きますね

事故って以降この傷では長距離バスでの移動はしんどいということで療養の意を込めて1週間も滞在してしまった。バンコクに引き続き、結局タイは長く滞在してしまう運命なのかもしれない。

ご飯に誘ってくれたと言ったが、その場にはオーナーの友達もいた。二人ともいい意味で大人らしくなく、どこか童心を忘れておらず、志高い憧れる大人であった。

それぞれの夢やこれからのことを年の差なんて関係なく毎晩語り合って気づいた頃には傷の痛みなど忘れていた。

本当に楽しかった。あっという間に時間が過ぎ、気づいた時には1週間が過ぎており、傷もカサブタを作っていた。

そろそろ移動しないとやばいなと思った僕は早々と計画を練って次なる地をスリランカと決めた。

こんなに離れたくなかったホステルは初めてだった。

しかし、こうやって僕がここに滞在している間にも2人は進んでおり僕だけが足踏みしている状態だと気づいたとき自然と足が前へ出た。

オーナーとはあえて連絡先を交換しなかった理由は、曰く

「俺芥川賞とるから、そんときどうにかして連絡取ってまたご飯いこう!」

と言っていたからだ。

こんなことを恥ずかしげもなく言える40を過ぎた大人が日本にどれほどいようか。

日本だと現実を見ろやなんだと野次られるかもしれない。

そんな中で海外に来て挑戦を続ける大人にはつくづく見習う点が多いなと感じたチェンマイでの1週間だった。

そして、僕は2日後に控えたコムローイには目もくれずスリランカ行きの飛行機へ乗り込んだ。

次回は、スリランカ編!

今回も読んで下さりありがとうございました!