タンザン鉄道~遅延と韓国料理の奇襲に苦しむ三泊四日~

どーも、しゅーです。

思いのほかエクアドルが寒くて困惑しています…

あと好奇心だけでガラパゴス行きを旅に出る前から決めていたのですが、本格的に情報収集を始めた今、かかる費用に戦慄しています。

まぁ、ここまできたのならば多少背伸びしてでもガラパゴスは行っておきたいところなのでなんとかお金はできる限り節約しながら全力で楽しみたいと思います。

さて今回は【タンザン鉄道】での鉄道旅について記していきます。

では、いってみよー!

1.あいさつ代わりの遅延

タンザニアで形ばかりではあったもののひと時のバカンスを楽しんだ後は、いよいよタンザニアを訪れた唯一にして最大の目的【タンザン鉄道】だ。

予定では二泊三日の鉄道旅。

長いなと感じる人もいるかもしれないが、実質列車に乗っておくだけなのでそんなハードなものではない。

と、乗車前まで考えていた。

実際、めっちゃしんどいなんてものではなかったがいろんな面で時間に苦しめられた鉄道旅になった。

まず、13時出発の予定が18時に延びた。

まぁ、遅延に関してはこのタンザン鉄道は有名なことなのでそれほど衝撃ではなかった。

衝撃は受けなかったが、やはりわかっていてもあの蒸し暑い駅で長時間待機するのはかなり体力を削られる。

一等席を予約した人だけが使えるラウンジみたいなものがあり、一等席を予約していた僕たちはそのスペースを使って列車を待つことにした。

この響きだけを聞くと、エアコンが効いていてなんならWi-Fiも使えそうな空港のラウンジをイメージしてしまうかもしれないが全くの逆だ。

エアコンなんてないし、Wi-Fiもあると言いつつ結局使えない。

まぁ、施設面では特に期待はしていなかったのでまだ許せる。

しかし、どうしても許せないことがあった。

駅のどこよりもそのエセラウンジが一番暑いのだ。

ラウンジの外は風通しがまだよく、涼しかった。

それに比べ、ラウンジは風が入ってくるどころか日光がとめどなく注ぎ込んでくる。

時間がたつごとに室温は上がっていく一方で、たまらず僕はラウンジを出て地元の人たちとラウンジの外で地べたに座って列車の出発を待った。

列車の出発がほとんど午後にも関わらず、なぜラウンジを西側に作ったのか。

こんな大規模な交通手段を作れるのに、そこに気づかないなんて…

2.ただ流れる時間

不幸中の幸いというべきか、初めに5時間遅延してからはこれ以上の遅延はなかった。

まぁ細かいこと言うと30分遅れたのだが、なんかもう…1時間までは誤差の範囲内であろう。

時間になり、一等席を予約していた僕たちがまず優先的にゲートを通された。

呼ばれてから、少しちんたらしていると駅員がやたら急かしてきた。

「早くしてくれ!後ろが控えているんだ‼」

5時間待たせといてよくそんなこと言えるよな、ほんとに…

ゲートを通ると、荷物をここに並べろと指示があった。

なにやら麻薬犬にチェックさせるとのこと。

指示に従って、みんな荷物を手際よく並べた。

しかし、いくら待てど麻薬犬が来ない…

韓国人の彼女はギャン切れだ(笑)

なんせ数分前僕たちを急かした直後にこれだから…(笑)

そして、なんと最後まで麻薬犬が僕たちの前に現れることはなく、ダラダラと乗車が始まった。

なんだかんだここでも30分以上待たされたがもちろん謝罪なんてものはなく、悪びれる様子も見せず駅員は淡々と案内を開始していた。

とことんアフリカはマイペースというか、ルーズというか…ねぇ…(笑)

あまり時間に対してかっちりしてない感じはとても好きなのだが、やはりイラっとする時もまた時間が絡んでくるから難しい。

列車に乗りこみ、自分の部屋へ向かった。

ここまでも何度か一等席というワードを使ってきたが、全然大したものではない。

いや、もちろん二等席三等席に比べたら幾分かマシだが、小さな二段ベッドが二つ設置されている四人部屋というだけだ。

僕としたことが部屋の全貌を写真に収めることを完全に忘れていた。

とりあえずベッドの写真だけ載せておく。

ここから二泊三日の耐久レースが始まった。

最初は各車両を歩き回って、軽く列車内を探検した。

しかしその数分後には早くも時間を持て余した。

汗をかいてしまっていたので、ベッドで寝るにはシャワーを浴びる必要があった。

(僕自身自覚はしているのだが、軽い潔癖が入っている)

(いや、でもこれに関しては誰しも汗をかいたらシャワーは浴びたくなるだろう)

(僕はシャワーを浴びる前に布団に入れないたちなので駅で汗をめちゃかいた初日に関しては何としてもシャワーを浴びたかった)

一応シャワー設備はあったのだが、まぁ水が出ない…

しかも、たちが悪いのは最初は勢いよく出てたのに、シャンプーを流すときに止まるのだ。

助けを呼ぶこともできず、水が出るのをひたすら待つ。

列車はガンガン走っているから揺れるし、完全に閉まりきらない窓から隙間風が冷たいのなんのったら…

列車のトイレ兼シャワー室の狭い一室で体を温めるために全裸でひたすらスクワットしていたのは今となってはいい思い出だ。

それでもなんとかシャワーを浴び切ってベッドに横たわることができた。

その数十分後に駅員が晩飯の注文を受けに来た。

伝えるのが遅れたが、僕の部屋メンバーは僕以外韓国人で構成された

ひとりはずっと一緒に行動している韓国人の女の子、残りの二人は韓国人の熟年夫婦だ。

この鉄道旅において最初から最後までこのメンバーには非常によくしてもらった。

有難い限りだ。

女の子は食堂車で食べていたため別だったが、僕含め残り3人はみんな同じメニューを注文した。

味は塩っ気が効いていて美味しかったのだが、見てわかる通り量が異常に少ない!

せめてこの大きさのチキンなら二つは入れてほしかった…(笑)

この日はそこそこ疲れていたこともあり、ご飯を食べて早めに就寝した。

3.韓国勢の奇襲

昨夜いつもより早めに就寝したこともあり、わりと早く目覚めてしまった。

時間は午前7時。

早く起きたからってネットもないし、特にすることもない。

なんとなく持ってきていた本に手を伸ばしてみたりするが、なんとなく気乗りせずすぐに本は手放した。

結局やることなく窓の外を眺めていたらいつの間にか二度寝していた。

起きたのは昼前、11時ぐらいだった気がする。

ただ時間を浪費していた、最初こそ「何かしなきゃ、この時間もったいない」なんてことを考えていたが、次第にそんな考えは薄らいでいった。

とりあえず、起きてから何も食べてないことに気づき、乗車前に買ったパンをかじった。

かじったはいいものの、食べきれず封をして翌朝にとっておいたのだが、翌朝見るとカビが生えた。

カビ生えるの早すぎじゃね…(ほかに食料なかったから食べたが…)

初夜こそちゃんとした飯を食ったが、しれているがそこそこの値段するので、それ以降はご飯だけを注文したり、ご飯を抜いたりした。

なんせ何もしないから全然お腹が空かない。

それでも連日何も食べないのはどうかと思い、列車が止まった時に窓外からいろんなものを売ってくる売り子からバナナを超安く買ったりしてしのいだ。

ただやることがないからひたすら窓外に流れゆく景色を眺めた。

ずっと眺めていると、【飽きる】という概念が消えた。

なんか無心でずっと流れていく緑を目で追っていた。

何も考えずに過ごしていると案外時間の経過は早かった。

気づいたころには二日目も日が暮れる時間になっていた。

この日は買ったバナナで晩飯を済ませた。

女の子は昨夜と同じく食堂車で、夫婦はご飯だけを注文した。

僕は歯を磨いて、ベッドに横になり過去に撮ってきた写真なんかを眺めていた。

すると、突然鼻を突くようなにおいが部屋に充満してきた。

あまりにも突然すぎたので、普通に「くさっ」と口に出してしまった。

日本人がいなくてよかった。(笑)

ベッドから少し首をのばして下を見てみると匂いの原因はすぐに分かった。

夫婦が韓国から持ち込んだのか、日本で言うご飯のお供みたいなものをタッパから大量に取り出していたのだ。

もちろん、韓国だからキムチもあった。

キムチもしかり、すべて漬物のようなものであった。

そら、あんな狭い部屋で漬物なんて食べた日には匂いがすごいことになるなんて誰でもわかる。

しかも一種類じゃないから、においが混じってもぉ毒ガスさながらであった。

夜だから、窓を開けると虫が大量に入ってくるので窓も開けられない。

あの部屋が地獄に化すまで、そう時間はかからなかった。

僕はたまらず食堂車に逃げ込んで、女の子に助けを求めた。

夫婦は英語をしゃべられないから、韓国語でなんとかオブラートに包んで伝えてくれないか頼んだのだ。

変にジェスチャーで伝えると少しストレートすぎる表現になるし、なにか誤解が生まれて残りの鉄道旅が気まずいものになりかねなかったのでこれが最善策であったはずだ。

女の子に伝えてもらうと、夫婦はこっちが申し訳なるくらい謝ってくれた。

その時は穏便に解決できてよかったと思ったのだが…

翌朝このにおいで僕は目が覚めた。

そうだよね、それをおかずにご飯食べているのだから、それを食べるなという方が酷な話だ。

そんな感じで予期せぬタイミングで来るこのにおいだけが部屋における唯一の不満点であった(笑)

4.気づいたら4日目に…

まぁ、匂い事件以外は特に変わったこともなく、時間は淡々と過ぎていった。

当初の予定ではこの列車は三日目の昼にザンビアへ到着するはずであった。

三日目の朝、あの強烈なにおいで起きたとき、匂いが強すぎて最初は気が付かなかった。

しかし、目覚めてしばらくすると列車が止まっていることに気が付いた。

いつから止まっているんだ、この列車は…

到着地点に近い場所ならまだいいが、実際ここはどこなんだ…

まぁいろいろ気になったが、気にしてもどうにもならないことだと割と早い段階に頭で理解できたので、考えることをやめた。

しばらくすると、動き出した。

しかし小一時間走ると、また止まる。

これを繰り返し、気づいたらもう夕方だ、到着予定時刻はとうの昔に過ぎていた。

列車が通常通り動き出したのは日が沈んでからであった。

そして、ほかの乗客に見せてもらったGoogleマップで衝撃の事実が発覚。

まだタンザニアさえ抜けていなかったのだ。

確かに落ち着いて考えるとまだ出国手続きも入国手続きもしていなかった。

当然その日のうちに到着なんて夢のまた夢であった。

そして、当然のごとく鉄道旅は4日目に突入した。

4日目の朝、目覚めたとき列車は走っていたので少し安心した。

しかし、まだ時間はかかりそうであった。

夫婦からいただいたコップ一杯のビールを頂きながら気ままに待った。

結局到着したのは夕方である。

まぁ日が沈む前に到着できてよかったというべきか、これがアフリカの遅延レベルかとうなだれるべきなのかはわからないが、とりあえず無事到着できてよかった。

結果的に二泊三日の予定だったものが三泊四日になったが、貴重な経験になった。

ここはわかりやすくアフリカンタイムというものを感じられる場所であると感じた。

好奇心の赴くままに乗ってみたが、乗って正解であった。

数多の時間の中でいろんなことに思考を巡らせることができたし、列車の中ということを免罪符に贅沢な時間を過ごすことができた。

アフリカを訪れる機会がもしあった人にはぜひおすすめしたい。

今回はこの辺で。

読んでくださりありがとうございました。

次回はザンビアの滞在についてです。