ルワンダで始まった学びの旅

どうも、今アフリカはルワンダに滞在しているしゅーです。

本当に誠にマジで申し訳ないほどお久しぶりです。(い、いつぶりの投稿なんだろ…)

前回の投稿は、タイはチェンマイについての投稿でした。

今回の舞台はアフリカです。

誰がどう見ても間が飛んでいるのがわかりますな。

チェンマイからアジアとヨーロッパ諸国もたくさん回りました。

もちろん、それらの国についても書きますよ。

しかし、「貯まった記事よりもリアルタイムのものをまず書かなきゃ」とルワンダでやっと気づくことができました。

(気づかされたといったほうが良いかもしれんが…)

これからはリアルアイムのものと並行して少しずつたまったものも消化していきたいと思います。

ルワンダに来て既に一週間がたちました。

今回ルワンダに来た目的は「スタディツアーSTART」に参加するためです。

このツアーに参加するためだけにルワンダに来たといっても過言ではありません。

そして、一週間のツアーがちょうど終わったこのタイミングでブログにまとめようと思った次第であります。

まず一発目は1日目&2日目について書いていきたいと思います。

では、いってみよー!

1.初めてのアフリカ

タイトルには「初めての」と書いているが、実際のところルワンダの前にモロッコに訪れているのでルワンダはアフリカ2か国目だ。

では、なぜ「初めて」というワードを入れたか…

ここが日本語の難しいところで文意的には「アフリカを初めて感じた場所がルワンダ」

だから、僕にとって初めてアフリカで訪れた場所は〈モロッコ〉で、初めてアフリカを感じた場所がここ〈ルワンダ〉ということである。

想像以上に平和であったルワンダ

モロッコについてはまた別のところで書くのだが…

「なんでモロッコでは≪アフリカ≫を感じることができなったのか?」

ずばり「弾丸過ぎた」

これに尽きる、5日間滞在して一度も宿に泊まれなかった…

夜行バスで朝を迎えるか、砂漠のキャンプで朝を迎えるか、そんな滞在だったのでゆっくりモロッコという国を見ることができなかった。

あとは完全に僕の偏見であり、偏った思考だとは重々承知しているのだが「アフリカ=黒人」というイメージが強い。

その点でも黒人が少ないモロッコでは少し僕の中のアフリカとモロッコはギャップがあった。

このツアーが「スタディツアー」と銘打っていることに加え、ルワンダが僕にとって「初めてのアフリカ」ということも相まってこの滞在では非常に多くのことを学び、感じることができた。

それらの学びをこれからまとめていくのだが…

アフリカ通の方々には「ルワンダだけでアフリカを知った気になるんじゃねぇよ」と思わせてしまう表現がこれからのルワンダに関する記事で出てきてしまうかもしれない。

決してそんなことはありませんと今のうちに言わせてほしい。

これから書き綴ることは僕が「初めてのアフリカ」に感じた率直な思いだ。

2.スタディツアーでの出会い

12月17日、朝方にルワンダ首都のキガリに降り立った。

時間にして36時間のフライト、空港で三連泊。

健康の真逆へまっしぐらな晩飯だ
空港は全てが高い…

体力は結構限界に近かったはずだが、キガリに着いた瞬間疲れなんて感じていなかった。

この旅が始まって3か月が過ぎて初めて目的地に合流する人がいたからだと思う。

決してひとりがつらかったとかしんどかったわけではない。

僕は自分が飽き性であることも一人の楽しみと人と共有することで得られる楽しみの2種類があることも理解しているつもりだ。

つまり、今回は一人旅に飽きてきていた自分にとって、ルワンダはもう一種類の楽しみがある場所であったのだ。

そんな感じでルンルンだった僕は空港から集合場所となっていた宿「KISEKI」に向かった。

ちなみに今回のツアーはボク含め3人で基本的に行動していく。

参加者は僕とタケさんという年齢が一回り違う先輩の二人だ。

もう一人はこのツアーの主催者であるタケダさんだ。

そして、宿に到着すると一週間のツアーを共にするタケさんはすでに到着していた。

大切なことを言い忘れていた
これから使うルワンダでのほとんどの写真はタケさんが撮ってくれたものだ
携帯の外カメがチェンマイの事故以降すこぶる調子が悪い…
以後お見知りおきを。

タケさんは勤めていた電機メーカーを休職してロンドンで大学院に通っている32歳の男性だ。

(なんかもうこれだけの情報で「デキル男感」が漂っている…)

実際にタケさんからは多くのことを学ばせてもらったのだが、ここでは一旦割愛させてもらう。

そして主催者のタケダさんは後ほど合流の予定。

(なんとタケダさんは1か月の一時帰国からルワンダに帰ってきてダイレクトでツアーを敢行するのだ…なんとハードな…)

タケダさんとの合流時間までまだ時間があったので、タケさんに誘われ宿周辺をぶらつくことになった。

どちらかと言えば僕はおしゃべりではあるが、変なところで人見知りなのでタケさんが誘ってくれたことは非常に有難く、うれしいことでもあった(笑)

街をぶらつきながら、適当に自己紹介をお互い済ませた。

これだけで伝わるルワンダのよき空気感

しかし、これだけで距離を詰められるほど人間単純なものではない。

まぁ、出会った初日に二人で街ブラしてるだけでも初日としては十分及第点だと思う(笑)

この近代感…(笑)
左が国際会議場で右はホテルらしい

1時間ほどぶらついた後、宿に戻った。

そして、タケダさんと合流する時間となり、宿で無事三人顔合わせとなった。

ツアーの日程としてはその日がツアーの初日ではあったが、合流する時間が遅かったこともあり、活動としては一緒に晩御飯を食べるにとどまった。

空港泊が続いていた身としては、久しぶりのまともな食事であった。

(空港に入っているレストランはありえんほど高い…善意の欠片もない、まじで)

食事をしながらお互いのことをなんとなく知っていった。

あぁ、久しぶりのまともなご飯である泣

話を聞いていると、当然ではあるが20歳の平々凡々な学生とは比べ物にはならないほどの経験値を僕より10年長く生きる2人が持ち合わせていることに気づいた。(当たり前すぎるよね)

そう気づいたと同時にこれ以上ないチャンスだとも感じた。

お二人ともこれまでに出会った人とはまた違った面白い道を歩んできたようで、とても心が躍った。

お二人の紹介をここでしてもいいのだが、大きく話がそれてしまいそうなので…

とりあえず主催者のタケダさんのTwitterアカウントを載せておく。(許可済み)

特にルワンダ行く予定のある人はフォローしておいて損はない。

1日目はお互いを軽く知ったところで幕を閉じた。

3.これが‟スタディーツアーSTART”だ

2日目はタケダさんによるルワンダ講座から始まった。

ルワンダに関する基礎的な知識や雑学をタケダさんから学び、それまで無知だった僕でも少しだけルワンダを知った気になれた。

そのあとは「キガリ虐殺記念館」へ向かった。

「え、ツアーなのにそんな重そうな場所に行くの…?」

忘れてはならない、これは‟スタディ”ツアーなのだ。

ルワンダは今こそ‟アフリカの奇跡”と言われるほどに目まぐるしい経済成長を遂げているが、20数年前、僕が生まれる5年前に民族間で100万人以上の人が犠牲になった大虐殺の舞台になった地でもある。

そんな暗い歴史も含めてルワンダを学ぶというのがこのツアーである。

僕たち参加者が‟歴史”をテーマにしたことでタケダさんは僕たちの意見を参考にこのツアーを組んでくれた。

ここがこのツアーの良いところである。

参加者の要望に合わせて、タケダさんがツアーをカスタマイズしてくれる。

もし、起業青年海外協力隊に興味がある人ならその旨をタケダさんに伝えると普段では訪れられない場所や会えない人に会わせてくれるかもしれない。

したがって、僕たちは比較的に歴史を学ぶ場所が多くツアーに組み込まれている。

4.メディアの威力

そんな場所の一か所目が「キガリ虐殺記念館」である。

カンボジアでも虐殺記念館なるものを訪れたが、やはりこの類の施設は胸をえぐられる。

この施設では文書での解説が主だったが、ここでカンボジアで起こった虐殺との大きな違いに気づいた。

その違いとは、加害者が置かれていた状況である。

カンボジアでは独裁者ポル・ポトを中心に虐殺が行われたが、ルワンダのそれは違った。

殺らなければ自分が殺られると恐怖に駆られた加害者によって虐殺が行われたカンボジア。

一方ルワンダは国民が自ら民兵となって自分たちの意思で虐殺を行ったのだ。

簡単にルワンダで起きた虐殺について説明をすると対立した民族は‟フツ族”と‟ツチ族”。

加害者側は‟フツ族”であり被害者側になったのが‟ツチ族”である。

虐殺が本格的に始まるきっかけになった出来事は「‟フツ族”であった当時のルワンダの大統領を乗せた飛行機の墜落」だ。

これ以前からもツチ族に対する差別のようなものは行われたが、この事件が加速させた。

ベルギーなどのヨーロッパ圏の国もこの虐殺に関係しており、これらの国は平和維持軍として兵をルワンダに送り込んだりしたが、むしろここが元凶(民族間の対立を助長した)という意見もある。(これについては次回以降詳しく…)

この是非に関して意見するには僕自身まだまだ浅知恵である。

だから、ここでの意見は控えさせてもらう。

ここで大事なことは、

‟なぜ100万人もの人が犠牲になるほどの大規模なものに発展したのか”

ということだ。

カンボジアの例のように政府が主導したわけでもない。

ルワンダの場合、力を発揮したのは《メディア》であった。

ルワンダでは今なおメディアの主流として活躍する‟ラジオ”が当時も利用されたのだ。

ほとんどの国民が聞いているラジオで「隣のツチ族には気をつけろ」「ツチ族はゴキブリだ」「ナタを用意しろ」とラジオ局がフツ族の国民を扇動したのだ。

その情報を鵜呑みにしたフツ族が大量のツチ族の人々を殺した。

撮影はタケダさん

虐殺が収束したあと、虐殺に関与したと思われる大勢のフツ族は警察に捕まった。

しかし、核なるラジオ局関係者は今なお捕まっていない。

ルワンダで起こったこの悲劇から僕は学んだ。

‟メディア”という今でも私たちの身近のあるものが容易に大量虐殺の引き金になりうる

ということ。

そして、

‟情報リテラシー”の重要性

昔よりも情報に溢れている現代において、より一層僕たちは情報に関しては慎重に取捨選択しなけれないけない。

恐らくフツ族の人々がツチ族をあそこまで追い込んだ理由はラジオの情報だけではないはずだが、少なからず原因の1つではある。

現代においてはSNSがわかりやすいだろう。

本当なのか、デマなのか…そんな怪しいラインの情報がTwitterなどでは特に溢れている。

そして、曖昧な情報でもキャッチーなもので面白ければ一瞬で拡散される。

極端な話、情報に溢れ情報操作を容易に行える今の方が大虐殺なるものを起こしやすいのではないか。

そんな現代で僕たちに必要なことはまさに‟情報リテラシー”であると今回キガリ虐殺記念館で感じた。

この歴史については、ほかにも様々な場所に訪れ、ガンガン学んでいく。

4.人生曲線

さて、キガリ虐殺記念館を後にして2日目の日程で残された行程は‟昼食”と‟ショッピング”である。

昼食の際に‟人生曲線”なるものを使ってよりお互いのことを知ろうということになった。

‟人生曲線”とはこれまでの自分の人生を折れ線グラフに起こして振り返っていこうというものだ。

これがなかなか面白かった。

自分自身いろんな気づきがあったし、タケさんについてもいろんなことを知ることができた。

僕自身の気づきとしては

‟人生のポイントには必ずきっかけとなる出会いがあった”

ということ。

細かく話すと長くなるのでここでは割愛(笑)

このあとに僕たちはお土産を買うために様々な店に行った。

おしゃれな雑貨などがたくさんあり、買えるものなら全部買いたかった!
少し盛りすぎた、でも本当に魅力的なものばかりだった。

僕自身も心配をかけている家族などにお土産を買いたいのだが、いかんせんこの後も2か月ほどの旅を控えているのでお土産購入は少しはばかられれる。

(まぁ、実のところはお土産なんて買えるほど資金に余裕ねぇよ…というのが本音だ)

そんな理由で店に入っても特に何も買わず、入っては出てをただ繰り返すだけとなった…

一方でタケさんはバンバン買っていく。

僕の代わりにお店にお金を落としていくぜと言わんばかりにお店に入ると何かしらを買っていた。

これが学生と大人の違いというやつか…と思い知らされた。

そうして、2日目の行程がすべて終了した。

次回は3日目と4日目~現地の生活編~。

最後まで読んでくれてありがとうございました。