タコスを食って終わった半年の旅

どーも、しゅーです。

地元にいるのに誰とも会えない、いくら会える友達が少ないと言えどここまで誰とも会わない帰省は初めてです。

ばぁちゃんにも会いに行けないとなると、もう憎きコロナですな。

出来れば生還の報告を直接したかったのですが、僕がコロナ感染者だった場合笑えないので…

今回は一応この旅日記最終回になります。

少し濁したのはヨーロッパを丸々飛ばしてしまっているからです…(笑)

ヨーロッパ編も後日徐々に上げていきます。

ひとまず今回で形的には最終回です。

この半年の旅を締めくくる国はメキシコになります。

では、今回もいってみよー!

1.やることねぇ…

さて、ガラパゴスで友達とは別れ僕はこの旅最後の国メキシコへ飛んだ。

僕としては最後の国も友達と回るつもりでいたのだが、コロナの影響もあって友達は早めに帰国する必要があった。(親からの要請で)

僕もガラパゴスから友達と帰国出来ればよかったのだが、中米に少しでも訪れてみたかったことに加えメキシコ発の帰国便を買ってしまっていたこともありメキシコに行かないことはできなかった。

‟まぁ、この旅はそもそも一人でのスタートだった”

‟やはり終わりも一人で締めるのがいいだろう”

このような形で半ば強引に自分を納得させ、メキシコへ降り立った。

この時期にコロナが中米でも警戒されだしていたこともあり、空港ではテレビ局の取材がきていた。

メキシコに到着したものの、下調べも特にしておらず、帰国便まで10日ほどあり時間にも余裕があったので宿に直行して宿にこもった。

ここから僕の堕落生活が始まった。

最後の最後にそこそこの宿にあたったことで宿から出る気が根こそぎ落とされたのだ。

しかし、さすがに最後の国でいつまでもだらだらしているわけにもいかない…

そう思って僕は軽く滞在している町メキシコシティについて調べてみた。

調べた結果、なんともまぁ見事に検索結果として出てきた観光スポットが僕のストライクゾーンを微妙に外れた。

これが旅の序盤の僕であれば、すぐに訪れてみただろうがこの旅を経て気づいた。

なぜ興味のない場所に訪れる必要があるのか。

海外だからと序盤は少し気張って行ってみた場所も多いが、ほとんどの場所は興味のないままであった。

このような観光の仕方だと何も広がらないのではないかと言われれば、ごもっともなのだが一人旅で興味のない場所へ自ら足を運ぶのは難しい。

興味のない場所は訪れてもほとんどの場所が興味のないままであることがほとんどであると気付いてからは、行きたいと本心で感じる場所にしか行かなくなった。

話を戻そう。

メキシコシティは歴史的建造物が立ち並ぶ街である。

世界史に疎い僕もこれまで多くの遺跡に訪れてきた。

しかし、これまで訪れた遺跡たちも例に漏れることなく僕の琴線に触れることはなかった。

よって、メキシコシティにある遺跡たちもすぐには訪れる気になれなかった。

遺跡たちはもういいかと思い、僕が遺跡たちを頭の中からはじき出してからは時間が水のごとくただ流れた。

気づいたら、タコスを食うか宿でブログを書くだけで一週間を過ごしていた。

ここが自分でも自分を怖いと思うポイントだ。

ただ時間を浪費することに慣れていると言えばいいのか、とにかく一週間ほど堕落した生活を過ごしても何も感じないのだ。

人によっちゃ1日でも堕落した生活を過ごしてしまうと、自己嫌悪に陥る人もいるというが僕は自己嫌悪どころか‟こういう生活も悪くない”とさえ感じる人種である。

蛇足ではあるが、付け加えさせてもらうと決してニート体質と言うわけでもない。

その証拠に堕落して過ごした1週間も一応ブログで日記を更新するというとりあえずの生産物を生み出している。

言ってしまえば、ブログを更新することで無意識に自己嫌悪から逃れていたといっても過言ではない。

2.メキシコシティを狭く楽しむ

そうして一週間が過ぎ、3日後に帰国便を控えた僕はようやく重い腰を上げた。

一週間だらだらとしていたといっても、毎日街へは繰り出していたのでなんとなく何がどこにあるかは分かっていた。

まず訪れたのは‟ソカロ”という場所である。

ソカロという名は恐らくエリアの場所であり、この場所には多くの遺跡が密集しており中央広場は宗教的、政治的なメキシコの中心地だと言う。

これはその中央広場の様子である。

これまたかなり広い広場となっており、面積としては世界の数ある広場の中でも有数の広さ。

写真中央の見るからにただものではない雰囲気を醸し出している建物はメキシコにおけるカトリックの中心となるメトロポリタン大聖堂だ。

無料で中に入ることができ写真もフラッシュなしならば撮影可能だったので、ありがたく見学させていただいた。

中心とだけあって、非常に規模の大きい教会であった。

そして、次に美術館へ訪れた。

訪れる予定はなかったのだが、目的地にたどり着けず迷った果てにたどり着いた場所がたまたま美術館であったのだ。

規模自体はそこまで大きくなく、作品数もめちゃくちゃ多いというわけでもなかった。

2時間足らずですべての作品を鑑賞できたのだが、イマイチ美術的良さを理解できなかったことで改めて自分にセンスがないと認識できた。

他にも遺跡など多くの観光スポットがあるのだが、結局観光はこれだけ。

途中でカフェに入ってしまい、「もういいやー」となってしまった以上、観光を再開することはできなかった。

たしかにTHE観光というものはこれ以上していないが、メキシコシティは街歩きするだけでも十分楽しめる。

異国情緒に溢れたこの町を歩けるだけでこの町に来たかいがあるというものだ。

メキシコがこの旅最後の国ということもあり、初めて本格的に土産探しも行った。

メキシコシティには10日ほど滞在し、結果的に滞在期間の大半を堕落し過ごした。

まぁ、これを受けほとんどの人が「もったいない」という印象を抱いてしまうだろう。

しかし、当の本人は何も後悔していないのでよしとする。

これは開き直ってるわけでもなく、強がっているわけでもない。

経験則になってしまうが、くつろぐことができた国は後々印象よく記憶に定着している

恐らく帰国後に一番受けるであろう質問。

「どこの国が一番良かった?」

こう聞かれたときに思い浮かぶ国は案外何もしていない国であったりするのだ。

今の時点でそうなのだから、今後もそうに違いない。

3.コロナに追われる帰国便

さて、あっという間に帰国の日がやってきた。

僕に残された任務は「無事に帰国する」だけになった。

しかし、帰国を目前に控えた僕はあることをずっと懸念していた。

それはコロナによる入国制限、出国制限だ。

メキシコに入国してから毎日航空券の予約サイトをチェックし、キャンセルされていないかを確認していた。

Twitterで多くの旅人がコロナによって帰国できるかできないかの瀬戸際をさまよっていた。

南米でも国によってはロックダウンが始まっていたからだ。

過去に出会った旅人もペルーで軟禁された、ボリビアで軟禁されたとのことだった。

このようにメキシコもいつ政府が動き出すかわからない状況だったので、僕も滞在中はドキドキして過ごした。

しかし、運が良く何事もなくフライト当日を迎えることができた。

フライト当日、朝一番にフライト予定が「on schedule」であることを携帯で確認して、なんとか帰れそうかな…と安心して歯磨きをし始めた時だった。

なんとなくTwitterを開くと、冗談抜きで開いたタイミングに1件のDMが届いた。

それは同じくメキシコに滞在している旅人からだった。

「なんかメキシコとアメリカ間の国境が今朝封鎖されたという情報が入ったんですけど本当ですか?」

いやいや、本当ですか?と聞きたいのは僕の方だった。

アメリカはトランジットで訪れる予定があったので、これが本当であるならば非常にまずい…

しかしmその時はにわかに信じがたく、とりあえず僕が数刻前にフライトは予定通りであると確認したから、たぶん大丈夫と不安ながらに伝えた。

サイトで確認した分だと、フライトは予定通りなはずだ。

予定通り。

うん、サイトにそう書いてるもん…

しかし、ここが南米であるということも忘れてはいけない…

突然キャンセルのメールが来るかもしれない…

あぁ…怖すぎるだろ…

なんでよりによってフライト当日なんだ…

思うところはいろいろあったが、なにぶん一人旅ゆえこういう非常時は毎度一人でどうにかしなければいけない。

なんとか早まった鼓動を落ち着かせ、まず国境封鎖について事実確認をした。

検索をかけると、有難いことにトップにそれらしき記事が出てきた。

らしきというか、見出しを見ただけで判断できた。

「トランプ氏、メキシコとの国境封鎖を発表」

ここまではっきりと書いてくれたら、大変分かりやすく確認も一瞬で終わった。

うむ…どうやら国境封鎖は本当らしい…

しかし!フライトは予定通りなのだから焦る必要はない!!!!

そう思うことで、気づいたら頭の中で展開されている最悪のパターンを否定し続けていた。

まだ、航空会社からメール来てないし…

そう思いながら、メールボックスを一応確認のために開いた。

と、届いてる…

何か届いてる泣…

このメールを確認するや否や、先ほどTwitterで連絡を頂いた旅人さんに再度連絡を取った。

やっぱりダメっぽいということを伝えるためだ。

僕がこの国境封鎖を知ったのも、教えてくれたことがきっかけである。

このように旅人は情報を共有しながら未然にトラブルを避けたりする。

僕自身まだまだ旅人してはぺーぺーであるが、この旅人のネットワークはかなりすごい。

この半年でなんど助けられたことか…(笑)

そして、最後の最後にまた助けられたわけだが…

今回は早めに知ることができてよかったーではよくないのだ。

本当に飛行機は飛ばないのか、ここを確認しなければいけなかった。

本来最終日は別の予定があったのだが、それどころじゃない。

すぐに空港へ向かった。

到着次第すぐにカウンターへ向かったのだが、案の定長蛇の列ができていた。

しかも、地元のLCCということもあってか対応しているスタッフはまさかの一人。

恐らくゆうに待ち時間が一時間は超えそうだったので、僕の前に並んでいる人に声をかけた。

「国境封鎖によるフライトキャンセルですか?」

ここでまさかの返答が返ってきた。

「NO」

まさかのNO。

不意を突かれたことで完全に挙動不審になってしまった。

「飛行機は飛ぶの?あなたはどこへ飛ぶの?今並んでいる人たちは通常のチェックインのために並んでいるの?ていうか、国境封鎖されたよね?」

今自分が知りたいことを一気に相手へ投げつけてしまった。

その方はとても親切に一つ一つ丁寧に質問に答えてくれた。

その方によると、どうやら飛行機は飛ぶらしい…

これが分かり次第、空港を後にしても良かったのだが空港職員から確かな情報を得るまではどうにも安心できなかったので1時間並んだ。

その結果、本当に飛行機は予定通り飛ぶとのことでついでにチケットも発券しておいた。

はぁ、最終日はゆっくりと旅の終わりをかみしめながら思い出の湯船に浸かりたかったのに…

そんな思いを抱えながらも、飛行機が飛ぶことに安心して宿へ戻った。

2時間ほど宿で休んで、今度はメキシコを発つために再び空港へ戻った。

そして無事に飛行機が離陸したとき、僕は本当の意味で安心することができた。

しかし、まだ僕の旅におけるハプニングの応酬は終わっていなかった。

無事にアメリカに入国でき、長いトランジットを過ごしているときだった。

YouTubeを見ていると、ラインニュース速報が入った。

今度は日本政府が動いたのだ。

まぁ、今思うと正直二週間政府が用意した場所で隔離されたほうが安心ではあった。

しかし、この時はイレギュラーなことに対してかなり敏感になっていたこともあり、かなり焦った。

この政策がいつから施行されるのかこの時点では今週中というアバウトな感じでしかわからなかったことも焦りを加速させた。

僕のフライトまでに確かな情報が手に入らなかったので、事の真偽は到着してからのお楽しみとなった。

最後のフライトに乗り込んでから帰国の実感が少しずつ湧いてきた。

モニターが日本語表記だ、アナウンスが日本語だ、乗客も日本人ばかりだ…

そんな当たり前のことに心を躍らせてる自分の隣には旅の終わりを少し寂しく思っている自分がいた。

離陸してから1時間ほどは外の景色を見ながらいろいろ考えていた自分がいたが気づいたら寝てしまっていた。

到着まで機内食を食べるために起きたりしたが、基本はずっと爆睡していた。

当然だ、最終日あんなにドタバタしたのだ、疲れるにきまっている。

南米でこそ飛行機を使う機会は少し増えたが、この旅の飛行機利用において起きた状態で着陸できた覚えがない。

今回も着陸の衝撃で目が覚めた。

なんだろう、少し大げさだが感動の帰国というのにあっけない。

コロナのせいもあって空港は閑散としているし、結局隔離政策もまだ施工されていなかった。

ということで、無事帰国。

静かな空港で僕の半年の旅が終わった。

なんか寂しい終わり方だなーーー!!!!と思ったが、こればかりは仕方のないことだ。

いうて、平常運転の世であったとしても空港に迎えがあるほど僕の人脈はそこまで幅広くない。

最後の最後までドタバタしていたが、とりあえず無事に帰国出来てよかった。

以上が僕の世界一周である。

ヨーロッパ編はまだ更新できていないが、とりあえずの区切りとしてここで締めさせていただく。

旅を終えて感じたことは少なからずあるのだが、ここで書くと長くなるので後日別記事でまとめさせていただく。

では、今回はこの辺で。

PS.海外の空港ではコロナの水際対策として一人ひとり質疑応答があったりしたのだが、日本は設置されたサーモグラフィーのチェックだけであった。

この緩さのおかげでおとなしく自粛期間を過ごそうと思えた。(笑)

これでコロナ感染者だったら、出発日に関係なく帰国者に対しては大変厳しい国民様から袋叩きにあうとわかってたのでせめておとなしく家で過ごした。

では、最後まで読んでくれてありがとうございました。