どーも、しゅーです。
お久しぶりすぎますね。
リアルタイムはエクアドルはキトに滞在してます。
そしてなんと旅の終わりも目前に迫っています。
大雑把に言うと残りのメインの国はメキシコのみとなります。
二週間後メキシコからの便で帰国の途につく予定です。
二週間後…
やばい、絶対このブログ旅の終わりまでに締められない…
しかし、やり始めたからにはやりきるというのが最低限のノルマということで帰国後とにかく記憶を頼りに書いていきたいと思います。
そして今回久しぶりの更新はタンザニアでの滞在についてです。
では、いってみよー!
1.凶悪都市から凶悪都市へ
楽しかったケニアの滞在を終え、また一人旅に戻る。
こちらが本来の形であるはずなのに、ケニアを離れるとき一人で行動することになんとなく違和感を感じた。
ケニアから向かう次の国はタンザニアだ。
凶悪都市説には諸説あるが、次に向かうダルエスサラームという都市もアフリカにおける凶悪都市ランキングにナイロビに並んでよくランクインしている。
まだ暗い早朝のナイロビにおびえながらひとり歩いてバス乗り場へ向かう。
出発前夜に、「暗い時間帯にナイロビを歩くのは怖いからついてきてくれないか」と宿のスタッフに頼むと「Don’t worry」の一言で片づけられた。
そのあと15分ぐらい駄々をこねるも笑いながらいなされて終わり。
意味が分からなかった。
僕はこないだ20歳になったばかりで初アフリカ、なんなら初海外だぞ。
なにより怯えている若者を蔑ろにする意味が分からない。
確かに朝早いけど、チップも払うって言ったのにも関わらず、なぜ頑なに断り続けたのか…理解に苦しむ。
その時は仕方ないと割り切って出発したが、今思い出してめちゃくちゃ腹立ってきた(笑)
まぁ、なんとか一人で無事にバス乗り場へたどり着きナイロビを出発した。
ここでひとまず安心したが、今回の移動は不安が絶えないものであった。
まず、ダルエスサラームへ到着する予定時刻が20時。
予定時刻さえも日の暮れている時間帯だ。加えて、ナイロビへ着いた時のように遅延は日常茶飯事だ。
今回も到着がミッドナイトを回ってもなんら不思議じゃない。
凶悪都市に深夜到着する恐怖たるや半端ないから、まじで。
そしてダルエスサラームを訪れるにおいてこんな合言葉みたいなものがある。
‟昼夜問わずタクシーを使うべからず”
この都市では昼間でもタクシー強盗なるものが頻発するというのだ。
しかし、今回到着するポイントは都市部から少し離れている。
したがって、予約した宿に向かう際なにかしら交通手段が必要になるのだ。
夜も遅いことから当然バスなどの公共交通機関は動いていないはずだ。
そうなると、宿に向かうため残された交通機関はタクシーしかないのだ。
「UVERとか配車アプリ使えや」と思うかもしれないがSIMを持ってないので使えない。
出発するまでに少なくともこれだけの不安要素は抱えていた。
まして、ここはアフリカだで…
どんなハプニングが起きるかわからない。
バスが道中故障するかもしれないし、バスの到着ポイントがずれてわけわからん場所で降ろされるかもしれない。
そんなことを考え出したら、もう移動中気が気ではなかった。
そんな抱えきれないほどの不安を抱きバスに揺られていた僕の目の前に強き味方が突然現れた。
それはイミグレの列に並んでいた時だった。
バスに乗った時からアジア系と思われる僕と歳が近そうな女性が乗っていることは気づいていた。
しかし、席も特別近かったわけではなかったので、特に話すこともなく国境までやってきた。
イミグレの列で、僕の目の前にその女性は並んでいた。
ずっと携帯いじっていたのをみて、「いいな、simカード買ったんや」となんとなく思っていると意図せず携帯の画面が見えた。
Booking.comのロゴで、宿を探してんやなと認識した。
「自分の宿と近いところにしてくれたら、タクシーシェアできるなー」
そんなことを漠然と思っていたら、またしても予期せず画面が見えた。
のぞいたわけじゃないです、まじで(笑)
加えて、驚いたことに僕が予約した宿の情報を見ているではないか…⁉
これを知るや否や、迷わず声をかけた。
「そこ、おれの宿と同じやで‼」
今思うと、僕が彼女であったならばこんな風に声かけたられたら少なくともその宿だけは選ばない。
しかし、その女の子は賢く、今から向かう都市がどんな場所で、その都市でどう行動するのがベストか、僕が言うまでもなく理解していた。
声をかけた僕がこれから向かう場所に大きな不安を抱えていること。
僕が安全のため共に行動する人を探していること。
タクシーをシェアすれば交通費も節約できるということ。
総じてお互いの利害が一致しているということ。
これらを一瞬で判断したのだろうか。(もしそうならばちょっと怖いw)
実際にタクシーをシェアしたいと言ったら、二つ返事でOKときた。
ここで僕はだいぶ心に余裕ができ、移動中もう少し先のことまで考えることができるようになっていた。
2.ついていっていいですか?
先のことを考えられるようになったとはいえ、ネットも使えなければ、タンザニアについての資料もない。
情報収集の手立てがない分には何もできなかった。
決めていたことと言えば…
タンザン鉄道に乗る‼
ということぐらいであった。
てか、これがタンザニアを訪れる唯一にして最大の目的であった。
鉄道乗るためだけに行くと決めていたので、そりゃ下調べも何もしているわけがない。
だから、移動中は終始「あぁ、到着したら早めに鉄道のチケット買いに行かなきゃなぁ」と考えているだけだった。
そんな中でバスは無事にダルエスサラームに到着。
到着時刻は24時。4時間の遅延。
まぁ許容範囲や。
とりあえず、一緒に動く人がいる分には大丈夫なはず。
そう思いながらも最低限の警戒は怠らず、タクシーに乗り込んだ。
彼女が「途中でATMに寄りたい」というので、ATMにまず向かう。
すると、僕がバスに預けていた荷物を受け取りに行っている間に、なにやら運転手と彼女間で口論が始まっていた。
まぁ、海外において運転手と口論するとなれば決まって値段についてだ。
今回も例もれることなく値段交渉であった。
話を聞いてみると、運転手が提示してきた値段は僕が調べていたタクシーの相場価格を大して変わらなかった。
そこで彼女の言い分は「‟UVER”ならもっと安い!」というもの。
いや、そりゃ‟UVER”なら安いやろうけど…
そもそもネットが使えない僕たちにはありえない選択肢であった。
(彼女のSIMカードはケニアのものでタンザニアに到着したときにはもう使えなかった)
さすがにUVERと地元タクシーを比べるのは少し相手もかわいそうと思ったので、僕が間に入って言った。
「その値段でいいよ、僕払うから」
これで一応丸く収まったのだが、彼女はタクシーに乗った後もしばらく不機嫌であった。
いうまでもないけど、初対面の女性と二人でタクシーに乗って相手が不機嫌とか…
気まずいの何物でもないからね。
そんな空気を変えるべく、彼女に今後の予定を聞いてみた。
すると、修学旅行のごとく綿密に計画が組まれていて驚いた。
しかも、僕と同じ日程であろう鉄道でザンビアに移動するとのことだった。
正直やることなんて何も決めていなかった僕はとりあえずこういった。
「一緒に鉄道のチケットを買いに行きませんか」
彼女は答えた、「はなからそのつもりだけど?」
ありがとーーーーうございまーーーす!
そして翌日二人は早速駅へ向かい、なんのトラブルもなく無事チケットを買うことができた。
チケットを買って宿に戻っている道中に彼女がこう切り出した。
「このあとザンジバル行くけど一緒にいかん?」
正直一人旅は自由が利く一方でお金がかかる、例えばタクシーを使うにしても割り勘できないし、ご飯も割り勘したほうが安くつくときがある。
お互い貧乏旅の身であることから利害が一致してしばらく行動を共にすることになった。
一緒に行動するからと言って、もちろんずっと一緒というわけではない。
各々行きたいツアーも別だし、時には一人でのんびりしたい時もある。
だから、あくまで目的地が一緒で移動を共にするといったほうが正しい。
まぁ、こういった感じで二人が同行することが決まった。
3.女は強い
後日僕たちはザンジバル島行きのフェリーのチケットを手配し、ザンジバル島へと向かった。
ザンジバル島はこれまでのアフリカとは打って変わって完全なリゾートであった。
地元の人と観光客の比率がイーブンであったように感じる。
いたるところに白人の観光客グループが固まって歩いていた。
正直なところ、ケニアのナイロビ、タンザニアのダルエスサラームと続けて凶悪都市を訪れていた僕にとって、このギャップは大きすぎた。
本来ならば、リゾート地で比較的治安も落ち着いている地域なので心を休めてもいいはずなのだがうまく切り替えられることができなかった。
というのも、韓国人の彼女は夜にお酒を飲みに行ったりしていたのだが僕はといえばずっと宿に引きこもっていた。(晩飯のために屋台などはもちろん行った)
なんかここで一度気を抜くと今後のアフリカで手痛いミスを犯してしまいそうで怖かったのだ。
考えすぎだったのかもしれない、外に出なかったことで何か大きな機会損失をしてしまったかもしれない。
しかし、この判断が功を素したかどうかはわからないが、実際にこの後何も危険な目に合うことなくアフリカを回れたのだからよしとする。
まぁこのずぼらな僕をここまで神経質にさせたナイロビとダルエスサラームがさすがであったというべきか。
まぁこんな感じで相も変わらず気を張っていた僕だが観光に関してはドルフィンツアーなるものに参加した。
ザンジバルには様々なツアーがあるが、僕が惹かれたのはドルフィンだけだった。
他にも韓国人の彼女が誘ってくれたのだが、あいにくスパイスの起源にも興味はなかったしデカいカメにも惹かれなかった。
だからドルフィンツアーにだけ一緒に参加させてもらった。
このツアーを予約するとき韓国人の強さなるものを垣間見た気がする。
提示された値段が彼女の下調べした値段よりも高かったらしい。
(ちなみに僕はいつも通り下調べどころか何もしていない、頼りっぱなしであった)
(なんか自分で「俺は役に立たん」と自慢げに言っているようにみえるが、決してそういうわけではない)
(これまで出会った人が頼りになりすぎるのが問題である…と考えてしまう僕に問題があるのは分かっている)
高いといっても1000円程であった。
確かに旅人からしたら1000円の差は大きい。
しかし、3000円から1000円を値切るのはまぁ難しい。
よくて500円が限界であろうと僕は考えていた。(お前も交渉しろ)
実際に交渉が始まると、案の定500円の値切りまでは順調であった。
これ以降は明らかに店側も難儀していた、「これ以上は利益が出ない」とまで言っていた。
僕なら、とりあえず500円はまけてくれたのだからここらで手をうってもいいかなと引き下がる。
が、彼女は調べておいたウェブページのスクショを印籠のごとく突き出して言った。
「去年きた韓国人にはこの値段なのに私たちはこれより高いのか」と。
まぁ普通に考えて近年発展してきているアフリカにおいて一年あれば値上げなんて当然っちゃ当然であるのだが…
そんなことお構いなしに彼女はまくしたてなんと見事に1000円値切ってみせた。
僕は後ろで店側の男に同情するかの如く、何とも言えない顔で苦笑いを浮かべてたと思う。
値切った後も喜んだりすることはなく、当然と言わんばかりに特に話題にあがることもなかった。
この後昼飯を食べたのだが、異様に料理が出てくるのが遅く(これはまじで遅かった、ピザ一枚に1時間近く待った)彼女は当然キレた。
ピザが来るまで5回以上は厨房近くのカウンターまで行って催促していた。
ここですごいのが彼女の英語力である。
ただ怒鳴るだけなら子供でもできるのだが、彼女は怒りながらもしっかり相手と対話する。
明らかに語気は強くなるのだが、相手が納得するまでひたすら意見を伝える。
そして、結果的にそのピザとドリンクが無料になった。
もう「すげぇ」の一言だ。
3.川にイルカがいればいいのに。
無事正規(?)の値段で予約できたツアーに翌日参加した。
ツアーにおいてイルカに出会える確率はハーフハーフであると前もって説明があった。
結果的にイルカとは一緒に泳ぐことができた。
その点だけで言うならばこのツアーは大満足であった。
んむ、なぜこんな含みを持った言い方をしたか。
それは僕の肌にトラブルがあった。
僕は小さい時から〈アトピー性皮膚炎〉を患っている。
重症化まではしてないものの、肌はよく乾燥しよく荒れる。
特にアフリカにおいて常に汗をかいている状況は僕の肌にとってまぁまぁしんどい状況であった。
そんな荒れてる肌の状況で海に入ったらどうなるか?
火を見るよりも明らかであり、まさに飛んで火にいる夏の虫というものだ。
海に入るまで気づかなかった。
物理的に傷口に塩を塗られてやっと気づいた。
「ここは地獄だ」と。
しかし、そんな僕の状況なんて気にすることなくイルカたちは目の前を優雅に泳いでいく。
なんとか根性でGOPROにイルカたちの姿を収めた自分をほめたい。
しかし、しばらく水に入っていると肌も慣れてくるのか痛みは薄らいでいった。
それに安心していた僕は海から上がり次のポイントに向かう船上で悶絶した。
風が容赦なく僕の傷をえぐってきた、まさに生き地獄、拷問のようであった。
え、大袈裟に聞こえる?
そんなあなたに告ぐ。
来世あなたがアトピーになりますように…(100%濃縮果汁の冗談です)
そして、その拷問にも耐え身体が渇いてきたころにまたイルカを求めて飛び込む。
まじであれは…拷問の類で間違いない、うん。
途中で離脱すればよかったじゃん()
それはできなかった。
では何が僕を動かしていたのか…?
それはずばり2000円のツアー代である。
なんともばからしいと自分も思う。
しかし当時の僕は2000円以上の価値をこのツアーにつけてやるという思いで毎度海に飛び込んだ。
我ながらあっぱれだ(笑)
こんな感じで最後まで地獄を行き来しながら僕のドルフィンツアーは幕を閉じた。
最後に僕が持った感想は小タイトルの通りだ。
「川(淡水)にイルカがいればいいのに…」
ザンジバルには3日ほど滞在したが、ツアー以外は特に何もしてないので次回は早くも【タンザン鉄道編】に移る。
最後にザンジバルで食した美味であったシーフードたちの写真を載せておこう。
では、今回はこの辺で。
読んでくださりありがとうございました。