味わいつくしたケニアの大自然

どーも、ついにアフリカの最終地点であるケープタウンに到達したしゅーです。

今回も引き続きケニアでの様子です。まさかアフリカでガチキャンプするなんて思ってもいませんでした。

現在ブログはヨーロッパを丸々飛ばし、ケニアからリスタートしたにも関わらず既に時差が生まれてしまっています。

これは非常に由々しき事態であります…

この旅も残り1か月ちょい、なんとかヨーロッパ編含め、ブログでの完結と旅の完結を合わせたい…

とりあえず、書ける時にひたすら書いていきます。

では今回もよろしくお願いします。

1.なんか日本食食べたくない?

サファリから帰ってきては、宿にとどまる者、次の目的地へ移動する者とそれぞれの行動をとった。

まぁ、簡単に言えば‟だらだらしたい派”と‟アクティブにいきたい派”に分かれたということだ。

僕含め四人が宿に残った。

残ったのは鬼さん、コバさん、こうやさんと僕。

宿でダラダラ過ごしていたある日、ふと誰かが言った。

「日本食食べたいな」

この誰かの一言、僕たちの口を日本食にするには十分すぎた。

ここから行動に移すのは早かった、ダラダラしたい派の四人がここまで機敏に動けたとは今でも信じがたい。

僕たちはその日の夜に早速日本食レストランへと出向く。

メニューを眺めているだけでギャーギャー騒ぐ日本人4人組、傍からみたらほんと恐怖以外の何物でもなかったはずだ。

個々で好きなものを頼んでもよかったのだが、なんせ本格的なガチ日本食だけあって値段も日本基準…

貧乏旅人の僕たちにとって、とてもではないが好きなものをそれぞれ注文することはできなかった。

となれば、要相談

食べたいものを口々に言っていくが、当然決まるわけもない。

誰かが「これ食べたくない?」と問うと…

「いいねーーー!」

「最高!!」

こんな返事しか返ってこず、全員の意見を採用して結局みんなが食べたいものを一人前ずつ頼んだ。(それぞれ一人前というのがぎりぎりの妥協点であった。)

まず、感動したのは日本が誇る‟麒麟”のビールを口に含んだ時。

去年やっと酒が合法的に飲めるようになった僕でさえ、日本を彷彿とさせるあの味に感動したのだ。

社会人経験済み他3人の感動は僕とは比べものにならなかったはずだ。

そこからなだれるように僕たちの前へ日本食が運ばれてきた。

その時の僕たちは、TGCのランウェイに次々現れるモデルへ歓声をあげる観客さながらであった気がする。

6か月という自分史上類を見ない長さで旅をしている僕だが、意外にも日本食を恋しく思ったことはない。

存外どこでも現地の食に満足できる僕は、「コメが食べたいな」と思うことはあってもこれまで「日本食食べたいな」と思うことはなかった。

しかし、今回本格的な日本食をケニアで食べて‟日本食がNo.1”と再認識させられた。

僕は今回の旅が初海外なのでこれまで外で日本食を食べたことはなかったが、「やっぱ日本食が一番やでー!」と日本食しか知らない井の中の蛙状態で根拠もなく言っていた。

しかし、海外の料理が全部まずいなんてことはありえず、アフリカまでの旅路で美味しい飯なんて数えきれないほど出会ってきた。

今回‟日本食がNo.1”と書いたのは海外の料理と味を比較したわけではない。

日本食が「おいしい」のは知っていた、ではどの点でNo.1と再認識させられたか。

それは反射みたいなものであった。

僕の細胞たちが体内に流れ込んできた日本食に対して、スタンディングオベーションだったのだ。

こればかりは上手く説明ができないが、ズバリと言えることもある。

それは、日本食のおいしさを本当の意味で理解するには海外の長期旅がうってつけということだ。

そして、存分に日本食を満喫した結果お会計の方は…

一人当たり4000円越え・・・!(笑)

確実にこの旅のご飯代最高額であろう。

しかし、あの満足度であったので全然後悔はしていない。

ちなみに次の日は鬼さんの驕りで昼にラーメンを食べに行きました。(笑)

おにさん、ごちそうさまでした。

2.え、キャンプする?

そろそろ次の予定を決めないといけないなと思っていたある日、また誰かが言った。

「キャンプしない?」

まだ何も予定を決めていなかった僕は大いに賛成であった。

他も賛成ということで、ぬるっと一泊二日のキャンプが決まった。

しかし、厳密にいうと今回はキャンプ自体が目的でない。

というのも、今回訪れる場所は‟ナイバシャ”という自転車サファリができるところである。

朝早くに出発して自転車サファリしてから日帰りで帰ってくるのは少ししんどいねってことで前泊しようということになったのだ。

だから、キャンプはおまけ的な立ち位置であったと言っても過言ではない。

しかし、仮にキャンプであるから最低限の道具はそろえる必要がある。

そこで道具をそろえるにしても一般的なお店で買うとコストがかかりすぎる。

基本的に他人といる時思考停止な僕は表立って意見もせず大人の皆さんに任せていた。

すると、路上販売で調達することに決まった。

ナイロビでは基本的にどこでも路上販売(でもこれ本当はだめらしい)が行われており、衣類、食品、工具、調理用具などなんでも売ってる。

まじでなんでも売ってる、路上で女性が服の上から下着の試着しているときは驚いた。(笑)

そんな路上販売で必要なものを調達したほうが安くつくだろうと考えた訳だ。

(こんな裸のナイフをこのナイロビで路上販売なんて恐ろしすぎる…)

フライパンから鍋、炭をつつく道具など揃えられるものは全て路上販売でそろえた。

なんかみんなでこうして一から道具をそろえていく感じが僕はとても楽しかった。(僕は何もしてないが…)

みんなで値段交渉して、何が必要だとか意見を出しながら自分たちだけで準備を進めている時間はなんか非常に尊いものであった気がする。(何もしてないが)

3.アフリカ名物すし詰めバン

さぁ、いよいよ出発である。

今回はサファリツアーのような形で参加したものじゃないので、送迎の車などもちろんない。

目的地へ向かう現地の乗り合いバスの乗り場まで行き、チケットを買ってとすべて自分たちで手配しなければいけない。

しかし、宿のスタッフに聞くと親切なことに案内してくれたので、容易にバス乗り場まで行くことができ、チケットも同様に買えた。

あとは、バスに乗り込んで出発を待つばかり。

大体アフリカの乗り合いバスは満席になるまで出発しない。

したがって、なかなか人が集まらずいつまでたっても出発しないなんてことはよくあるのだが、今回はスムーズに人が集まり定刻通り出発した。(定刻が何時か知らないが(笑))

満席と言っても、出発したときは一人一席確保できていた。

しかし、しばらくバスを走らせていると、どうやらバス待ちの男2人がこっちに手を振っているのが見えた。

(かなり暑そうやな、でもごめん、あいにくこのミニバスは満席なんだー)

と思っていると、なんとバスが徐々に減速し始めたではないか…

これはもしかして…いやまさか。

そしてドア付近の男が、バスのドアを開けた。

(まじか、え、まじか、乗せるんか?席無いぞ?え、本当に?)

当然のように男たちの目の前でバスは停車し、男たちも当然のように乗車してくる。

(少し戸惑えよ、明らかに満席やろ…)とここケニアにおいて自分は捨てた気でいた日本人思考になっていた。

当然と言えば当然である。

20年間も日本に住んで培った日本人思考を数か月の旅で捨てるなんて不可能に近い。

まぁ、そんな僕の思いとは裏腹に無理やり自分のスペースを作る男たち。

僕たち以外の地元の乗客たちは嫌な顔せず、詰めてあげる。

それを見て、僕も見習わなきゃと詰める。

‟郷に入れば郷に従え”と自分に言い聞かせ、最初のうちは頑張れた。

しかし、しばらくしてその窮屈さと道の悪さが原因のバウンド地獄で完全にグロッキー状態になった。

イヤホンをつけ音楽で気を紛らわそうとするも社内に大音量で響くレゲエのせいで頓挫。

前に鬼さんたちもいたので、‟死んでも吐くわけにいかない”と並々ならぬ覚悟を決めて、窓の外を流れていく景色をひたすら眺めた。

気づいたら目的地へ到着していた、知らないうちに眠っていたようだ。

なんとかその場をやり過ごした自分に拍手を送った。

到着して僕たちは昼飯を近くにあったレストランで済ませ、食材の調達に向かった。

想像していた以上に立派なスーパーで驚いた…のは僕だけであった。

みんな各自リサーチを済ませており、何がどこにあるかを大体把握していた。

正直僕に関しては到着するまで、ここで何をするのかさえあやふやだった。

キャンプをするのは知っていたが自転車サファリをすると知ったのは到着してからだ。

ハブられていたのではない、僕がずっと受け身だっただけだ。

僕が何もしなくても事は運んでいくから、ついつい任せっぱなしになってしまうのだ。

ともかく、立派なスーパーで食材の調達を済ませキャンプ場の方へ向かった。

ちなみに食材を購入するにあたって晩飯のメニューを何にするか問題が浮上したが、キャンプと言えばカレーでしょうと満場一致の一瞬で解決した。

4.役目は与えられるものでない

キャンプ場に到着するや否や早速晩飯の準備に僕たちは取り掛かった。

食材の準備をする係、火を起こす係、、総指揮官に分かれて準備を行った。

総指揮官に抜擢されたのは一番年下の僕であった、まぁ勝手に自分で自分を抜擢したのだが。

なぜなら、ここまでかというほどキャンプの知識に疎く、料理のノウハウも皆無な僕にできることが何一つなかったからだ。

「いやいや、なにか手伝えることあるやろ」

「やる気ないだけやん」

「仕事は自分で見つけるもんだろ」

僕だって、なにかできることはないかともがいた。

(この一分後にあえなく鎮火)

しかし、なにか手を出すたびに自分のポンコツぶりをみんなに見せつけるだけだったのだ。

(アホ面が過ぎるな…)

非常に不甲斐なく、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

そんな中で、唯一できるようになった仕事は薪拾いと洗い物だ。

必死にその分野で僕なりに頑張った、うん、めちゃ頑張った。

(週刊文春に載ってもおかしくないレベルの激写)

15時あたりから準備を開始したにもかかわらず、ご飯を食べるころにはすっかり日が暮れていた。

まぁ、ご飯を炊くのも一苦労だし、そもそもまともな炭もなく、湿った薪しかなかったので火力を保つことも大変だった、鬼さんとこうやさんが。

小さなナイフしかなく、少ないスペースしかない中で野菜や肉をさばくのも大変だった、こばさんが。

しかし、なにはともあれ無事に晩飯の準備ができたのでいざ実食!

みんなが苦労して作った飯はまずいわけない。(僕も僕なりに頑張った)

グンバツにうまい。

カレーを作っている最中に、僕たちとは別でキャンプしていたトルコ人家族が手作りケーキをおすそ分けしてくれた。

というわけで、何とも贅沢にデザート付きのでディナーである。

デザートもおいしくいただいた後は、なんとなく火を囲んで談笑。

(なんだろう、火を見ているだけですごい熱いことを言ってしまいそうになる)

非常に心が温まった夜だった。

5.ケニアで風になった日

キャンプとは思えないほどみんなぐっすり眠ってしまい、起きたのはしっかり9時を回っていた。

それから僕たちは軽く朝飯を済ませ、本来の目的である自転車サファリへと出かけた。

しかし、サファリと言っても前回のサファリとはまるっきり違う形だ。

コースは決まっているが、ペースは自分たち次第。

案内役もいなければ、安全が保障されているわけでもない。

なんせ自転車だ、動物に標的にされることはThe endを意味する。

まぁ、さすがに肉食動物が生息するエリアではないが…

案外坂道の多いコースだったせいで結構ハードなものになってしまった。

動物といえば、シマウマやキリン、サルなどといったものは見れた。

他の三人はわからないが、僕個人の感想としてはアフリカの山をチャリで猛スピードで降りたことが一番楽しかった。

すごいスピードで周りの景色が移り変わっていく一方でどこまでも絶景は続いていく。

あのときばかりはケニアの山を駆け巡る風になれた気がした、知らんけど。

当初予定していた以上にケニアを満喫してしまった。

‟してしまった”とは語弊があるな。

キャンプを共にしたおにさん、こばさん、こうやさんをはじめとするケニアで出会ったみんなに楽しませてもらった。

みんなのおかげでこの旅のハイライトになりうるほどケニアは良き滞在になった。

やはり、僕の旅を豊かにするものはいつだって人との出逢いである。

ルワンダとケニア続いて非常に充実した滞在になった。

そんな二か国に続く次の国はタンザニアだ。

正直に言って、幸せすぎると次に来る不幸を恐れてしまう人間なのでいつこの幸せが終わるのかとびくびくしている。

今回はこの辺で。

今回も読んでくださりありがとうございました。