どーも!
ルワンダはキガリからバスでケニアはナイロビにやってきたしゅーです。
今回の年越しは初海外で初めて家族と離れて過ごすものになりました。
場所はというとケニアはマサイマラ国立保護区、サファリです。
これについてはハッピーな思い出しかないのですが、また次回書かせていただきます。
とりあえずブログに記すことの大切さに最近気づいたので、書けるうちにどんどん書いていこうと思います。
やっぱ記録しないと細かい部分は忘れちゃいますな。
今日は平和なルワンダから少し怖い町ナイロビに深夜放り出された話です。
1.え、ウガンダもビザいりますか?
ルワンダでのツアーが終わった後、何も考えてなかった僕は目的もなくだらだらとルワンダに滞在していた。
正直ルワンダに来るまで相当バタバタの旅をしていたもんで、久しぶりにゆったりとした時間を過ごせた。

(ちなみに4時間後にここに戻ってきた時まだしてた(笑))
どれだけバタバタしていたかについて書くだけで一つの記事になると思うから、これはまたの機会で…
一通りゆっくりした僕は次の目的地に意識を移し始めた。
その時、一番来てほしくない感情が沸いてきた。
さ、寂しいいいいいいいいいいいいいい…
ルワンダのツアーを一週間共にしたタケさんとお別れの時もさみしかったが、それ以降も宿が日本人宿だったのでなんとか「寂しい」という感情にはふたが出来ていた。
しかし、いざルワンダを出るとなると急に溢れだしてしまう。
なんとかなるまいかと頭をひねった結果…
選ばれたのは‟Twitter”でした。
Twitterでこんな感じで呼びかけると…
ほんの数分後に…
まさか誰かから返信が返ってくるなんて…
しかもお誘いの連絡…
僕は激しくガッツポーズをしながら、過去一のスピードでイェスの返事をタイピングした。
そんなこんなでケニア行きのバスをなんとか探し手配を済ませ、あとは出発を待つのみの前夜。
ひとりで過ごしているとふと思った。
「あ、ビザ」
「ビザの金、ドル紙幣、ないやん」
イミグレでアライバルビザを取るために50ドルを支払う必要がある。
その50ドルがないのだ。
お前はATMというものを知らんのか
そんなことを思う人がいるかもしれないが、ルワンダのATMは現地紙幣しかおろすことができない。
残された手段はルワンダフラン(現地紙幣)をドルに両替することしかない。
正規のレートで両替できるかわからないが、背に腹は代えられないということで翌日両替屋を探した。
すると、なんと、なんとですね…!

正規のレートでドルを売ってくれる両替屋が見つかったのだ。
結果無事にドル紙幣を手に入れることができた。
これで一件落着と思われるかもしれないが、実はもう一つ問題が発生していた。
それは、通過するだけのウガンダもシングルビザを取る必要がある説だ。
これについては最後の最後まで正確な情報が手に入らなかった。
なんとなくその説が濃厚であると分かったので、念のために50ドルを…
つまり僕は計100ドルをビザのためだけに両替したのだ。
かさむわぁ…滞在するならまだしも、ウガンダに関しては通過やからね…
*東アフリカビザの存在は知っていたが、ルワンダ入国時点でケニアに訪れる予定はなかったのでシングルビザを取ってしまった。東アフリカビザはルワンダ・ウガンダ・ケニアのビザをまとめたもので100ドルで取得できる。
東アフリカビザを持っていなかった僕は50ドル損したわけだが、こればかりは結果論なので仕方ない。
結果はウガンダ通過するだけでもシングルビザを取得する必要があった。
2.予定なんてあくまで予定ですものね
ルワンダ発のバスは定刻通りナイロビに向けて出発した。

いうてVIP席で3000円)
タイトルからして、予定通りいかなかったことは誰でもわかる。
そして、定刻通り出発したということはもう到着が遅れる結末しかない。
こんなに分かりやすい結末もなかなかないだろう。
予定では20時発で翌日の14時ナイロビ着だった。
まぁ先人のブログを見てもさすがに到着14時は早すぎるなとは感じていたが、ブログのネタになるほど遅れるとは思わなかった。


(でも怪しんでるとかではなくただの好奇心からくるものだった気がする)
結果的に到着したのは翌日23時。

バスを降りたとき写真撮る余裕なんてなかった)
おもろい。
出発は定刻で、道中にバスの故障もなかったし、渋滞もなかったと思う。
特にトラブルなく到着したにも関わらず9時間以上の遅延。
もう一周まわっておもろい。
トラブルなく到着が9時間遅延となると、これすなわち9時間たださば読んだということになる。
待ち合わせ前に遅刻症の僕が「あと五分で着く!」と言って30分後に着くのとはレベルが違う。
特に僕は予定がなかったので、予定が狂うということはなかったが、もし予定があったならば丸つぶれだ。

出発が定刻通りだったことに少々驚いていたが、やはりアフリカは裏切らない。
予定はなかったが、到着前からナイロビという街にビビりまくっていた僕にとって23時到着がまずい事態だったことに変わりはない。
実際にナイロビで夜中、外国人は容易に外を出歩けない。
そんな場所にアフリカで有数の平和国ルワンダから平和ボケし、子猫さながらナイロビの全てを恐れていた僕にとって23時のナイロビに一人で放り出されることはもう…ねぇ。
当然携帯はWi-Fiなしでは使えないから、MAPS.MEというオフラインで使えるマップを比較的安全地帯であるバスの車内で頭に叩き込み、意を決してバスを降りた。
地図を路上で確認なんて怖すぎてできなかった。
最後に降りた僕の荷物は絶対薬漬けのやばそうな人たちとバス会社のスタッフに囲まれていた。
バス会社のスタッフだけには軽くお礼を言って、荷物をそそくさ背負って歩き出した。
23時に大きな荷物を背負ったアジア人がてくてく歩いてるだけで標的になりやすいので、せめて…と異常に胸を張って堂々と恐れるものなしと言わんばかりにナイロビを闊歩した。
(幸いなことにバスが止まった場所が宿の近くだったので歩いたのは10分足らず、それでもマジで怖かった)
何とか宿にたどり着くと、スタッフ一人と2人の日本人が迎えてくれた。
2人の日本人は後に一緒に年越しをするメンバーだ。
そのうち一人と以前から連絡を取っており、僕が14時着ということも知っていたのでかなり心配をかけてしまった。
翌日、年越しのメンバー全7人が集結する。
とりあえずなんとか無事にナイロビへたどり着けてよかった、ほんとに…(笑)
では、今回はこの辺で。